柴咲コウの母親はロシア系クォーターだった!19歳の時に乳がんで他界されていた。

 

女優や歌手として活躍されている
柴咲コウさん。

2003年には「黄泉がえり」
2004年には「世界の中心で、愛を叫ぶ」
など有名な映画にも出演。

ドラマでも「オレンジデイズ」や
「ガリレオ」も大ヒットし人気を
集めましたね。

 

そんな柴咲コウさんですが
小さい頃から苦労をしていたようで
柴咲コウさんの母親について関心が集まっています。

 

今回は、柴咲コウさんの
母親について執筆をしていきます。

 

柴咲コウの母親は誰?

柴咲コウさんの母親は
一体誰なのでしょうか?

 

柴咲コウさんの母親は
一般の方でもあったので
名前などは公開されていませんでした。

また画像なども見つけることはできませんでした。

そして、結論から書きますと
柴咲コウさんの母親は
柴咲コウさんが19歳の時に
乳がんが原因で他界されています。

 

柴咲コウさんの母親は
柴咲コウさんに似ていらっしゃったという事ですが
どのような方だったのか気になりますね。

柴咲コウの母親はどんな人?

それでは、柴咲コウさんの母親は
一体どのような人だったのでしょうか?

 

柴咲コウさんの母親は
北海道の礼文島のご出身だったそうです。

島の暮らしは経済的にも厳しかったようで
柴咲コウさんが幼い頃に
東京の豊島区に移り住んできています。

 

そして柴咲コウさんの母親は
ロシア系のクォーターだったという事です。

柴咲コウさんも、ハーフ?クォーター?
と囁かれることもありましたが
母親がクォーターだったのですね。

 

礼文島もロシアに近いですし
家系にロシアの方がいても
不思議ではないとは思います。

 

柴咲コウと母親のエピソードは?

柴咲コウさんと母親のエピソードは
何か残っているのでしょうか?

 

柴咲コウさんのおそらく
幼い頃の思い出として母親との思い出に
母親が作ってくれた砂糖と片栗粉を溶かして
焼いたおやつが思い出の一つだそうです。

おそらく、経済的に苦しかった時に
母親が柴咲コウさんに作ってあげたものなんでしょうね。

 

柴咲コウと母親のエピソード2

柴咲コウさんの母親が他界される
までのエピソードについて書いていきますね。

 

柴咲コウさんは東京に移り住んできて
中学生になったころ14歳の時に
池袋で芸能事務所にスカウトされます。

しかし、受験のこと父親の反対もあり
一度は断りました。

 

その後、柴咲コウさんが高校にあがり
16歳の時に母親のがんが見つかります。

乳がんだったそうです。

柴咲コウさんは、母親の治療費を出すために
働くことを決意し、父親の了解も得て
芸能界に飛び込んでいきました。

収入は全て家に入れ、母親の治療に
充てていたとのことです。

 

しかし、その甲斐むなしく
2年後に柴咲コウさんの母親は
帰らぬ人となってしまいました。

 

2016年、柴咲コウさんは
株式会社レトロワグラースを設立し
代表取締役を務めています。

サスティナブルを意識し
「心」「身体」「環境」への配慮をした
「衣食住」のサービスを主としているようです。

そのような事に取り組み始めたことの
背景はいろいろお在りかと思います。

もしかしたら、柴咲コウさんの母親の存在が
その理由の一つなのかもしれませんね。

 

まとめ

今回は、柴咲コウさんの
母親について執筆をしてきました。

柴咲コウさんの母親のことを
調べるにつれて、柴咲コウさんの
人生やまた人間性に触れられた
気がしています。

 

最初から何もかもがあった人生
ではなかった柴咲コウさん

母親を生かしたい一念で飛び込んだ芸能界

さまざまな苦労と経験を重ね
今の柴咲コウさんがいることが尊いですね。

 

これからの柴咲コウさんの
活躍、そして事業の発展にも注目です。

 

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